オーケストラと人間。
今回の話題はオーケストラ音楽です。
これまでゲームや映画の良さを語ってきましたが、ちょっと毛色を変えて、たまには私自身の話を中心にしてみようと思います。
というのも私、とあるオーケストラの楽団に入っていましてね。最近、ひとつ演奏会を終えて区切りがついたので、いま思うことをいろいろ綴ろうかなと。
なんでオーケストラ?
ゲームや映画を嗜む私が、なぜオーケストラなんぞやっているのか。答えは簡単、「だから」です。
映画の音楽って説明不要の素晴らしさがあるじゃないですか。たとえありきたりの展開だとしても、音楽が盛り上がると面白く感じる。前回語ったスター・ウォーズなんかは最たるもので、個人的に「スカイウォーカーの夜明け」は音楽を聴くための映画でした。
ゲームでいうと、「スーパーマリオギャラクシー」のサウンドトラックCDは擦り減るくらい聴いていました。
初めはゲームや映画の中で「聞く」音楽なんですが、いつしかオーケストラを「聴く」ようになっていました。「ここでこの楽器使ってくるセンスいいな〜」とか言ってみたり。
で、その流れでエレクトーンなんかをやっていて、さらにその流れで今に至ります。
音楽ってよくわからない
さて本題。
当たり前ですが、聴くと演奏するとでは景色が全く違います。芸術作品を鑑賞することと創造することの違いですね。
つまり演奏することは創造することですから、自分がやりたいと思うことを演奏を通して表現できるわけです。
ただ、アンサンブルになるとそれだけではありません。特にオーケストラは大人数かつ多くの楽器が音を合わせますから、自分の思うがままにやっていたのでは完成しません。
芸能の世界にも通じるところがあるかもしれませんね、アンサンブル演技とかいいますし。
不思議なのは、全員が楽譜という台本の通りにやってもまとまらないんです。曲によるところもあったり楽譜の難易度に左右されたりはしますが、かといって電子ピアノなどで正確に音を鳴らしても違和感があります。
自分の好きなようにやり過ぎてもダメ、楽譜通りにやってもなぜかダメ。その上で自分を表現する。理系の私にはこの矛盾がとてもムズムズしていました。
それではどうすればいいのかというと、音を合わせることを、気持ちを合わせるということにすればいいんです。(たぶん)
気持ちというのは、そりゃもうあらゆる感情のことです。
ドカーンと派手なシーンでは開放的に。静かなシーンでは穏やかに。ソロのメロディーのときには全員で支える気持ちで。言葉で表すと少し滑稽かもしれませんが、こういう感情っていうのは共通ですよね。
もっといえば、大きなホールでの演奏になると緊張感や高揚感が自然と共有できたりもします。
それを合わせれば、上手いこといくんですよ!なぜなのか私には本当にわかりませんが、確かなことだと思っています。
何かしら経験のある人なら、これには同意してもらえるのではないでしょうか。
人間ってすごいね。
メンドウとカンドウは紙一重?
ただし、さっき共通な感情だといったことに矛盾するようですが…その気持ちを合わせることは難しいんですね。
いろんな考えの人と一緒に取り組むわけですから、意見の衝突は免れません。さらに個人のモチベーションも様々ですから、そう簡単にはまとまらない。
こうなってくるともう、考えることを放棄したくなります。
演奏の本番に向けて積み上げるものはそれだけでもなくて、どれも面倒なことが多いです。
しかし、でっかいホールでの演奏を終えると、いつも何か込み上げるものがあります。言語化するのはすごく難しいのですが、「感動」なんでしょうね。
映画を観て感動するとかではなく、いろんな感情がブワーっと溢れていく感じ…。生きてる!って思える感じ。あの場でしか体験し得ないのが、何とも不思議です。
多くの人と同じ感情を共有したという興奮でしょうか。スポーツに近いのかも。
何がいいたいのかというと、「面倒くさいことを成してこそ、あの感動が生まれる」。
…ということは、面倒なことをするのが、生きるってことなんだろうか。
ふとそんなことを思った、今回の演奏会でした。
とりとめのない、よくわからない記事になってしまいましたが…まーいいか。